解体新書

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参議院議員  松山政司
名前 松山政司
生年月日 1959年1月20日
家族構成 妻、2男2女の6人家族
好きな食べ物 麺類
好きなアーティスト:楽曲 松山千春「大空と大地の中で」
カラオケでよく歌う曲 「君を忘れない」(松山千春)
座右の銘 「一歩一会」
その理由 出会いを大切にする好きな言葉の一期一会にちなんで、「常に自ら一歩踏み出し新しい出会いを求めていく」。
そんな前向きな姿勢が自らを高め、人をも発展させると信じて生きたい。
これからもそうありたい。
尊敬する人 高杉晋作
その理由 歴史の転換期に自らの命をかけて本気の行動をした。
宝物 友人
福岡または九州での大好物 長浜御殿のラーメン
ス トレス解消法 サウナと時々やるギインズのバンドのひと時。


松山 政司 (マツヤマ マサジ) 参議院議員:1959年生まれ 明治大学商学部卒業
1996年 福岡青年会議所理事長 1999年 日本青年会議所会頭
2001年 参議院議員初当選 福岡県選出当選1回
2006年 経済産業大臣政務官


[参議院]

[自由民主党]

国家基本政策委員会 副幹事長 宇宙開発特別委員会副委員長
経済産業委員会・理事 国会対策副委員長 オレオレ詐欺撲滅
ワーキングチーム委員
北朝鮮による拉致問題等に関する
特別委員会委員
財務金融副部会長 観光特別委員会 観光基本法改正
プロジェクトチーム委員
行政監視委員会委員 水産副部会長 教育基本法検討特命委員会委員
経済・産業・雇用に関する
調査委員会委員
党改革実行本部 コンプライアンス
確立部会副部会長
景気・中小企業対策
プロジェクトチーム委員
議院運営委員会・理事 党改革実行本部幹事 党青年局次長
農林水産委員会委員 NPO・NGO関係団体副委員長 文化・スポーツ局次長
決算委員会・理事 国土・建設関係団体副委員長
憲法調査会委員 運輸・交通関係団体副委員長
国民生活・経済に関する調査会委員 食育調査会幹事
地球環境特別委員会副委員長

[議連]

[その他]

公共物電子境界線事業を
推進する議員連盟
NPO国境なき奉仕団体理事長
タクシー・ハイヤー議員連盟
事務局次長
ギインズ・骨髄バンク、緊急災害
の支援活動
一般空港を考える懇談会
事務局次長
日露若手議員の会
下水道事業促進議員連盟幹事 日本JCロシア友好の会

昭和63年福岡青年会議所に入会以来、JC活動に熱心に取り組み、平成8年には福岡青年会議所理事長、平成11年日本青年会議所会頭に就任。
その間、アジア太平洋こども会議、阪神淡路大震災の支援活動、ルワンダ難民支援など、地球規模で活動。
「動く日本JC」をモットーにして、28カ国にのぼる海外活動で証明された幅広い行動力は、何よりも松山政司の大きな魅力。

運動会の朝、短パンがイヤで号泣!?

小さい頃は結構ひょうきんで人を笑わせたりしていた。
小学校に入る前、左足に大火傷をし、田川郡川崎町と福岡市国立病院(現医療センター)で2度の入院は海外に行ったような遠い世界に感じた。悲しみの涙から始まったが、多くのよき人々に出会え、楽しい思い出にもなった。

入院生活において両親や周りの人達のやさしさに囲まれたことは生涯忘れない。

おかげで傷も治り、かけっこもどちらかと言うと早いほうだったが、運動会に行く朝、短パンをいやがり、母に厳しく言われ、泣きながら学校に行ったのをよく覚えている。

そんな母の教育のおかげで、中学校では火傷の傷を気にする心を吹き飛ばし、バスケット部に入り、レギュラーとして県大会にも行き、活動させていただいた。

とにかく音楽にあけくれた青春時代

始めたのは高校のときから。中学校からビートルズに聞き惚れ、ギターに興味を持ったのがきっかけ。

バンドで担当していたのはボーカルとギターです。主に井上陽水やアリス等のフォークソングやオリジナル曲を演奏していました。

自分で詩を書き、メロディーを付け、歌を作る。加えてそれを多くの人に聴いていただくことは最高の喜びでした。
高校時代は素晴らしい歌をつくる友人が周りにたくさんいて、ライバル意識もあったりしてよく練習したものです。

当然ながら勉強するよりそちらばかりに熱中していました・・・(笑)

現在もギインズのメンバーとしてボーカルとギターを担当しています。

ギインズとは・・・

国会議員による初の本格的バンド。
1988年、自民党全国研修会でデビュー。
自ら作詞作曲を手がけた曲による社会問題に対してのアプローチは、新たな試みとして高い評価を得ている。
チャリティーソングの制作・コンサート等による収益はすべて関係機関に寄附している。

詳しいプロフィールはこちらから→





政治の大切さを痛感し、自ら決断!

13年間青年会議所を通じ、地域福岡の街をはじめ、全国、そして
海外でのボランティア活動を続け、40歳で(JC最後の年に)会頭を務めさせていただき、街づくり、国づくり、人づくりにおいて政治の大切さを痛感し、
ちょうど、参議院選挙という国政選挙のタイミングにあたり、とくに参議院は良識の府とも言われ、6年の任期で学びきっちりと腰を据えて、学びながらも政治にしっかり参加してみたいと自ら決断しました。

初めて議員バッジを授与された時は、身の引き締まる思いで国会の絨毯を踏み締めました。そして、心の底からこのバッジには多くの県民の皆様の期待が込められていることを絶対に忘れてはならないと自分自身に言い聞かせ、今でも所信を忘れることのないように心がけています。

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